こんにちは!村田おにぎりです。
一緒に絵本を作っているやまみさんが、先日このような投稿をしていました。

「絶対もっと効率のいい方法がある。そう分かりながら描く」
もし仮に、AIに「やさしいタッチの絵本のイラスト、森を歩くネコ」と入力すると、数秒で絵が出てくる。そんな時代。
構図も色もバランスも、プロが描いたかのような完成度で出力される。だけど、それでも手書きで絵本を作ることの意義についてしばらく考えていました。
時間=命
どんなにお金持ちになっても買うことができないもの。それが時間です。
時間は唯一、すべての人間に平等に与えられています。
私たちが時間をかけて何かをするということは、その分の命を使っているということでもあります。
手料理について考えてみましょう。
誰かの手料理を食べて心が動くとき、僕たちはきっと「味」だけに感動しているわけじゃありません。
「この人は、私のために1時間台所に立っていた」という事実が、胸に刺さるわけです。
コンビニのご飯がどれだけ美味しくなっても、それは変わらないでしょう。味の問題じゃなくて、時間の問題なので。
やまみさんが絵本に引く一本の線も、きっと同じなんだと思います。
そこには、やまみさんの有限な時間が注ぎ込まれているんです。
私たちの絵本ごちそうが誰かの心を動かしたとき、それはきっとやまみさんの吹き込んだ命が読んでくれる人に伝わる瞬間なんだと思います。
手描きの絵本に宿るのは「絵の上手さ」だけではなく、この絵本のため、そして絵本を楽しみにしてくれているみなさんのために、私たちの命の一部を使いましたという、目に見えない証明なんだと思うのです。
AIで作ったものは「手作り」じゃないのか
自動炊飯器が普及しても、誰も「機械で炊いたものはお米じゃない」とは言わなかったでしょう。
デジタルでイラストを描く人に対して、「紙に描かれていないものは絵じゃない」とはならなかった。
道具は時代とともに変わり続けて、世の中はどんどん便利になっていきます。
AIも一つの道具です。おそらく近い将来、みんながAIを普通に使う時代になるでしょう。
問題は”道具が何か”じゃなくて、その人がどれだけ悩んで、選んで、誰かのために時間を費やしたか、ではないでしょうか。
AIを使いながらも、どの表現が伝わるか何時間も試行錯誤して絵本を仕上げるなら、そこには確かに命が宿っている。逆に、何も考えずプロンプトを打って5秒で出力した絵を「はい、作ったよ」とするのは、どこか違う気がする。
「楽をすること」は、愛情の減少なのか
もう一つ、考えておきたいことは「時間をかけること=愛情」とするなら、
楽をすることは愛情が薄いということになってしまう。
じゃあ、疲れているお母さんが子どもに冷凍食品を出すのは、愛がないことなのだろうか。
おそらく、それは違うという人が多いのではないでしょうか。僕もそう思います。
疲れていても、子どものためを思ってご飯を出そうとした。そのために冷凍食品を使うという選択の中に、愛はある。
愛情は時間の「量」だけではなくて、「向かう方向」で測るものかもしれません。
・大切な人のためにプレゼントを選ぶ
・お世話になった人に感謝のメッセージを送る
誰かのことを思って何かを選んだとき、そこにはどんな形であれ、愛情が宿るのでしょう。
だからきっと、AIの時代に問われているのは「手か機械か」ではなく、
「自分は何のために、誰のために、ここに時間を使うか」を自分で選び続けることなんだと思います。
絵本ごちそうにかけてきた時間
秋に「一緒に絵本を作りましょう」という話になってから、気づけばもう半年が経過しています。
そしていまもまだ制作が進行中。
僕たちはたしかに、この絵本に時間をかけてきました。
絵本の向こうにいる子どもたち、お父さんお母さんに向けて。
やまみさんが描く動物たちの表情・お米の躍動感・背景に隠された細やかな表現。
それらの線には、AIが生成する「数々の情報のなかから選んだ無難な線」には絶対に生みだせない温度感が含まれています。
子どもたちはきっと、言葉にはできなくても、その違いをどこかで感じ取るでしょう。
完成した絵本の美しさより、「だれかが時間もかけて描いた絵」という事実が、受け取った子どもたちの心に、ずっと深く残るんじゃないかと思っています。
「効率」という言葉への小さな抵抗として
「AIで一瞬で作れるのに」という発想は、効率・速度・コスパを最上位に置く価値観の表れでもあります。
それ自体を否定したいわけではありません。でも、世の中すべてが効率重視に向かっていくとしたら、何か大事なものが少しずつ削られていくような気もします。
おにぎりもそうですが、無洗米があったり、おにぎりを作る機械があったりするなかで日々おにぎり作りに勤しんでいます。
お米を研いで水に2時間浸たし、ザルにあげて一晩冷蔵庫で寝かし、早朝に起きてガスで炊いて、保温機に移して温度を保ちながら、一つ一つ握っては塩を振って海苔に巻いて。
仕上げに自分でスタンプを押して作った包装紙で包んでお客さんの元へ持っていく。
恐ろしく非効率なことをやっています。
「村田くんのおにぎりおいしいね」と有難い声をたくさんいただく反面、これでおいしくないわけがないとすら思っています(笑)
これは、そうした方がおいしくなるという自分のなかの信念にもとづいての行動です。
その一方で、効率を求める社会への小さな抵抗も含んでいるのかもしれません。
手描きの絵本も、そんな効率効率の世界に対して、ただ静かに「時間をかけることにも意味がある」と示しているのでしょう。
それは小さな抵抗かもしれないけれど、こういう時代だからこそ必要な、体温を届けるためのものなのです。
やまみさんが今日も描いてくれてる一本の線は、絵としての完成度と同時に、もっとずっと大切なものを運んでいる。
時間という名の命が、そこには宿っています。
おわりに
「ほんとうに大切なものは目には見えない」
もうタイトルも忘れましたが、いつか読んだ本の一節にそう書かれていました。
「私を大切にしてくれたと思うのは、その人が私に時間をかけてくれたから」
これは僕の友達が言っていた言葉です。
その友達は、学生時代やさぐれていた自分に、当時の先生が時間をかけて向き合ってくれたことを今でも感謝しているそう。
だれかが自分に時間をかけて向き合ってくれた。
その事実が人の心を目には見えない何かで満たしてくれるのかもしれません。

『絵本ごちそう』は現在制作中です。
完成をいち早くお届けするために、ぜひInstagramをフォローしてお待ちください。
作:村田おにぎり ▷ https://www.instagram.com/m.onigiri_s/
絵:やまみ ▷ https://www.instagram.com/yamami.ehon/

